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2017年2月

2017年2月20日 (月)

20年前のアルバム

今日は写真展です。
20年前の1997年、AZUが中国ハルピン市内で撮ってきた写真を載せますね。

まずは猿使いのおっちゃんと群がるおっちゃん。





自家用車がロバ車という一家をよく見かけました。





メロン味の甘いマクワウリを売るリヤカー。



子供たちが離れないあの窓は駄菓子屋さん。



中国の糊は水のりだから古い掲示物ははがせない。



鼻ほじりながら下水が壊れた坂道をゆくおっちゃん。



新郎が残念なルックス格差婚?




AZUにとって初めての外国がハルピンでした。
今となってはレトロな思い出たちですね。



AZU


2017年2月10日 (金)

カラオケにどハマり中

突然ですが、
AZUはカラオケが好きです。


家から徒歩3分の所に激安カラオケ店があるという好立地。
なので、犬に吠えられながらもちょこちょこ通っています。


でもわたしの歌い方は「一人で行くしかない選曲」なんですよ。例えばこの間は最初の2時間をモー娘。などのハロプロアイドルソングで引っ張った後、4時間中国語のC-POP歌いまくり。4時間ぶっ続けで一人で休みなく歌ったのに中国語楽曲のレパートリーが歌い終わらない…ってもはや日本人とは言えないんじゃないでしょうか。で、中国語に飽きるとまたハロプロに戻り、ヲタしか知らないようなB面の歌メドレーにいくわけです。ほら、一緒に行きたくないでしょう?


中国語で何を歌っているかと言いますと、ズバリ1997年前後の流行歌と2005年前後のアイドルソングでして、年代も相当偏っているわけです。ま、カラオケが全年代均等に歌える人なんかいるわけない…と思いますけど、AZUはことC-POPにはだいぶ偏りがあります。90年代で言えば陳明、那英、王菲が大好きです。陳明のカセットテープで中国語の発音を覚えましたからね、発音のモノマネは得意です。彼女の中国語の発音は、当時まだ歌詞の意味がよくわからなかったわたしが聞いてもうっとりと聞き惚れるような美しい音色でした。特にわたしが大好きだった「夜玫瑰」という曲のguiとかsuiとかもう絶品、中国語がわからん人には何言ってるか意味不明でしょうけど、とにかく単語レベル、文レベルではなく「音節レベル」で酔いしれていたマニアック女子でした。王菲(フェイ・ウォン)は「夢中人」という有名な曲が好きで、これはもう北京語で歌っちゃダメです、ちゃんと広東語でいかないと。ライブ映像のようにグネグネ飛び跳ねながら歌わなあかんのです。


2005年はわたしが上海にいてテレビっ子だった年です。その頃流行った中国語ポップス、ほとんど耳に覚えがありますね。台湾のS.H.Eや蔡依林(ジョリン・ツァイ)がヒット曲を量産していた頃です。その年の歌手発掘番組「超級女声」はツワモノ揃いで、わたしは3位だった張靚穎と4位だった何潔をテレビの前でキャーキャー言いながら応援していました。ちょうど用事で香港に行っていた週、いつも上海で観ているその番組が観られないことが残念過ぎて、香港の街を歩きながらも(今夜は誰が勝ち抜いたんだろう)とまるで上の空でしたから。2005年といえば「超級女声」を観るためだけに中国にいたようなもんです。ペンライトならぬ光らないただのペンを振り回して毎週ハッスルしていました。その頃他に流行っていた歌手で今でもAZUが好んで歌うのは、孫燕姿,張韶涵,梁靜茹,王心凌などですが、かすかな時代錯誤を許してもらえば,陳慧琳,梁詠琪,張惠妹,林憶蓮なんかもいつも歌います。


既にかなりブログの読者を失いかけてますね。
チャイナポップス愛が伝わればもうOKです。


「そうか~、AZUちゃんは洋楽聞かないんだねぇ」という声が聞こえてきそうなのでお断りしておきますと、わたしは洋楽もかなり偏った趣味で聞いております。まぁ60年代から70年代ですよね。アメリカのThe Beach Boysはデビューして50年以上経つ2013年に初めて中国上陸したんですが、AZUは上海のメルセデス・ベンツアリーナの前から6列目で観てましたよ。だってかのザ・ビーチ・ボーイズとはいえ中国人は見に行かないだろうから日本よりいい席で観れるぞ、と思ったんです。思ったとおり、会場は欧米人で埋め尽くされていました。日本人女子で一人で見に来て「バーバラ・アン」を歌って腰をフリフリはしゃいでいたのはわたしくらいでしょうね。アンコールの「ココモ」ではもう感涙通り越して泣きに入ってましたしね。…洋楽もチャイナポップスも歌うのはもっぱら女性歌手の楽曲ですけど、聞くなら男性歌手。ただ…わたしの好きな男性歌手にはゲイが多いことが微妙にいとをかし。




AZUのヲタクっぷりを全開させてしまいました。
意味わからなかった方、どうもすみませんでした。


今日のブログが面白くなかった方は、まずザ・ビーチ・ボーイズを聴いてください……
それとメジャーデビュー20周年を迎えたモーニング娘。'17の応援をよろしくです……



AZU

2017年2月 2日 (木)

2月、逃げ始める

2月ですね。


AZUの今月の目標は、
「東京の人が話している時にツッコミをいれない」
にしました。東京の人となかなか仲良くなれないのはわたしがしつこく絡んでツッコんでくるからだと思ったのです。東京の人はイチャモンつけずに話を最後まで聞いてほしいのかもしれない。話し相手がかなり良いボケをかましてくれてるのに明らかにツッコミ待ちではなく話を続けていくから、話を聞き終わった時にはツッコミどころまで忘れちゃうんだけどね、そのくらいがちょうどいいみたい。わたしはボケたあといかにもツッコミ待機中〜という顔で相手のツッコミを待ってるんだけど、いやぁ東京の人はツッコんでこないね。最近はいつもボールを蹴ろうとして空を蹴ってしまったような、そんなスカばかり。たまには関西人に心ゆくまでイジってもらいたいです。


最近のニュースといえば。
AZUは親の弁護人を辞めました。
わたしを苦しめ支配し容赦なく殴っては混乱させてきた親ですが、わたしは親をかばい続け、親に「片親家庭だったけど自分は娘を出来のいい子に育てることに成功した」という自信と自尊心とやり甲斐を感じてほしくて、親を弁護するためには他人を攻撃することもいとわないほどでした。


でも、我が親が子育ての準備もできないまま子供を産んでしまい、子供が必要としていたものを満足に備えようとしてこなかったことに対しある程度の報いを身に受けるべきではないか?少なくとも親の間違った子育ての結果を人為的に捻じ曲げて成功例に仕立て上げることは、娘のわたしがやるべきことではない。そう思えるようになってきて、親の弁護はやめたんです。


親のために体を張ることをやめて以来、一番変わったのは夫を大切にできるようになったことです。あ、わたし結婚していて旦那さんがいたんだ、ということを婚姻届以来初めて思い出したような気分です。旦那のことをルームシェアしている男性のような、または壁の模様か間接照明器具のようにしか思っていなかったけれど、今はちゃんと彼がわたしの横に立ち、わたしを気遣いながら歩みを合わせてくれる人間のパートナーなのだと認識できるようになったんです。


親の傀儡で着せ替え人形のようだったわたしは、他人と対等で信頼し合う関係を築くことがとても苦手でした。他人というのはすべてわたしの想像の産物であると考えていたため、なぜ自分が考えたはずのストーリーやキャラクターが自分の望み通りに動き、展開していかないのか不思議に思うことさえありました。今思えば自分の歪んだ世界感は親からの洗脳の結果でもあるし、生まれつき負っている障害特性の結果でもあると思います。


子は親のお人形ではない。
親は子の飼い主ではない。


親だって親としてのキャリアはわたしの年齢分の年数しかなく、ずっと初心者だった。だから事情は汲むよ。でもだからといって正当化できる悪事はない。


親の弁護人は下りて、
親の裁判人も下りて、
まずは
旦那の親友になること。

それが今後の生き方になるのかな、と思います。



AZU

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